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帰るよ

Posted by junko on 11.2014 旅の終わり the end of travel   1 comments   0 trackback



昔勤めていた会社を辞める際の送別会のこと。
二次会にみんなで行ったカラオケで、上司や同期が総立ちで歌ってくれたのが
ミスチルの『終わりなき旅』だった。
これから新しい道へと進む私の背中を優しく、強く押してくれた。
もうかれこれ8年前のことになるけれど、
今でも鮮明にあの時のみんなの顔は思い出せる。
それぐらい、本当に本当に感動したし、嬉しかった。
あの瞬間があるからその後のいろんな壁も乗り越えられた。



そう、『人生』を『旅』という言葉を使って比喩的に表現することは、
よくあることかもしれない。

生まれてから死ぬまで、その一筋の道を旅として捉える。
始まりがあって、たくさんの物事や人との出会いがあって、
燃えるような情熱や飛び上がるような喜び、
心が震えるような感動があって、それと同時に、
誰も信じたくなくなるような裏切りや、
どうしようもない疎外感、情けない自分自身への怒り、
そういった起伏のある感情と共に人生を綴る。
時には波打たない穏やかな時間も流れる。
そしていつかは迎える終わり。

その過程を旅と表現するのはすごく自然な流れ。





けれど私の場合、この日本を離れていた約3年間は、
旅そのものが私の人生だった。
まぎれなもない、旅そのものが。









2010年のヨーロッパ一人旅から始まり、
2011年にはカナダはモントリオールでのワーホリ生活、
そして2012年から再開した南米~中米~アフリカ~ヨーロッパ~アジアを
巡る旅。

旅を中断していたカナダでの時間でさえ、
滞在目的は旅の資金を貯めることだったので、
いつも暮らしの中心に旅が在った。



そんな、日々の暮らしそのものだった旅が、
今終わろうとしている。












長くブログから離れていた。
もうかれこれ一年近く書いていなかった。
けれど今のこの気持ちは、日本に帰ってからでは決して綴れない。
そう思って、時間軸は狂うけれど、今、最後の飛行機を待つここ北京の空港で、
文字に起こそうと思います。












こうして何かを待つ時間が、この旅の中でとても多かったように思う。
ほとんどはバスを待つ時間だったけど、時に列車だったり、
時に飛行機だったり、時に人だったり…
そんな長い待ち時間の後にやってくる移動の時間そのものも、やはり長くて。
けれど座席の背にもたれてふーっと力を抜く時、
ものすごく穏やかでいい気分に包まれていた。
それまで居た場所を離れる寂しさや、次に向かう新しい目的地への興奮などは、
いっとき姿を消すのだ。
なんだったんだろう、あの移動が始まる瞬間の不思議な幸福感。
とても贅沢な、けれど旅には欠かせない時間が、移動だったんだ。

iPhoneをとうの昔に失ってから、音楽を聴くことも極端に減り、
バッテリーが一時間しか持たないへなちょこMP3プレーヤーも、
もちろん登場回数は低い。
当初のようにわざわざパソコンを開いてブログに勤しむこともなくなり、
読むべき本ももう持ち合わせていなかった。
つまり十何時間という、いや待ち時間も含めれば、
二十時間を超えるほどの莫大な時間を埋めるべき手段がなかった。

それはつまり、思考か睡眠か、もしくは妄想か。
その三つしか選択がなかったわけだ。




その国の、その都市の、その村の、その文化に自然に人にとどっぷり浸かっている時には、
ただ漠然と現れてはかすんでいく感情を、
その場所を離れる時に車内で反芻することで、
自分の考えとしてまとまりを持って捉えていた。
もしその都度こうして文字に書き起こしていたなら、
もっと明確に残せただろう。
でもほとんどはケイヨウとの間に交わされる会話の中でそれは行われた。
話せる相手がすぐ隣に居るということは、
普段は忘れてしまいがちだけど、実はものすごく幸せなことであって。

そう、ついついその存在を当然のように扱ってしまったこともあった。
旅中は24時間ずっと一緒、トイレとお風呂以外ずっと。
それが自然な形になっていて、一人の時間が欲しいなんて思ったことはなかった。
それでもやっぱり衝突は何度か起きた。
たいがい私が文句を言うのが発端だったけど。

一番多く文句をぶつけたのは、彼の徹底した節約に対してだった。
それを『ケチ』という一言で済ませてしまえばただそれだけの事になってしまう。
でも実際はそうじゃない。
徹底したコントロール、長年の旅の経験値から成る的確な計算、
プランを実行に移す行動力、それらが揃わなければ、
あんな低予算でこんな長旅ができるはずはなかった。

ワーホリ以降の二人旅、ざっと計算で240万円。
それが約二年間だから、一人あたり、一年間を60万円で旅したことになる。
飛行機などの大きな交通費も含めて、だ。
それって破格だと思う。
まず2010年の私のヨーロッパ一人旅は、5ヶ月で100万円使った。
行きたい所に行き、食べたい物を食べ、買いたい物を買う、
ストレスフリーで欲望にどこまでも素直な旅。
そりゃあ、『セレブバックパッカー』だなんて言われちゃうよな。



それが今回の二人の旅路においては、
レストランで地元料理を美味しそうに頬張る観光客を横目に、
あっちの方が50円安いからといって数キロ離れたスーパーマーケットまで
歩いて行って、買ったパスタで自炊。
暑い日に諦めたいくつものアイスクリーム。
試着までして気に入ったけど結局手に入れなかった洋服。
たくさん諦めてきた。

ターミナル中を練り歩いて、何人ものおっちゃんと値段交渉しては
辿り着いた最安値のバス。
そこの店で一番安いからといって買った謎のブランドのシャンプー&リンス、
そのせいでパサパサになった髪。
水を買うのもためらって、水道水を沸かせば飲めるはずと沸かし、
熱湯のまま空いたペットボトルに入れてボコボコになったボトル。
観光地の入場料が地元民の5倍の値段で腑に落ちず、
ケイヨウが「いいよ、淳ちゃんだけ観ておいで」と言われ、
さらに行く気を無くしたこともあった。
二人で旅してんのに、そんなんじゃ意味ないんだよ。

宿のキッチンのフリーBOXに入っている物は迷わず頂いた。
人がくれた服ばかり着ていた。
与えられた食べ物は何でも食べた。

日本の社会においては美徳とされる『遠慮』を一切捨てることで、
恥ずかしさやプライドなんかも吹っ飛ばした。
そうやって成し得た低予算だ。





そしてもうひとつ忘れてならないのが、
私達がカップルだという事実が人々の信頼を得易かったということ。
ちょっと考えてみればもっともだと思う。
自分が受け入れる側だったなら、男1人よりも女1人かカップルの方が信じられる。
逆に旅人目線で言えば、いくら相手が善良そうな人だったとしても、
その人が男性だったなら、どんなに誘われてものこのこと家に着いて行くのは不用心。
でもこっちがカップルだったから、ケイヨウが居るから、
どんな状況でも飛び込んで行くことができた。
そうして成し得たホームステイの連鎖。

今年に入ってからというもの、宿に泊まった日数より、
はるかにホームステイした日数の方が多い。
モロッコから始まり、セネガル、モーリタニア、ドイツ、スウェーデン、
トルコ、イラン、そして東チベットでも。
彼らと衣食住を共にすることで、観光地に行くのとは違った、
私達だけの旅を作ることができた。
現地人との交流という軸が、写真にも現れた。

宿代と食費がこうして浮いたことも、私達の財布をとても助けてくれた。
それに今年に入ってからブログを停止したことで、
より彼らと密に過ごす時間が増えたのも事実。
ブログを書くということは、ある一定の時間、周りとの交流を遮断して、
自分1人の空間と時間を作らなければならない。
けれど、もてなされている立場で、友人や家族に囲まれて談笑している時に、

「あ、すんません、ちょっとブログ書きたいんで部屋引っ込みます」

なんて誰が言えるだろう?

私達はブログを手放すことで、
側に居てくれた彼らの深い信頼と愛情を得ることができた。




旅の仕方、つまり旅においてのお金の使い方は千差万別。
観光にお金をかける人、食事にお金をかける人、
洋服や小物など土産品にお金をかける人、お酒にかける人、
アクティビティにかける人、色んな旅人に出会ってきた。

どんな旅の仕方が良いとか悪いとか、
そんなものに答えなんかない。
正しい間違ってるもない。
みんながみんな、それぞれに誇りと情熱を持って、
自分だけの旅を創り出している。

私達なりの旅においては、ブログと並立することは結局できなかった。
もちろん日本で心配、応援してくれる人達のことを思うと、
できるだけ続けたかった。
読みながら一緒に旅、してほしかった。

でも続けていたなら、この旅、特に今年に入ってから、
より深く現地人の奥にもぐっていくような滞在の仕方はできなかっただろう。

…ってまぁ言い訳かな。
でも、これで中途半端に終わらせるのもいやなので、
帰国後も何かしら書き綴っていきたいとは思う。











現地人と奥深いところで交流するということは、
同時に彼らの外向きだけじゃない内向きの側面も見られるということだ。
つまりそれは、リスクを背負うことに近い。
優しく撫でていれば牙をむかれることもなかったのに、
好奇心が追い風になって、奥深いところまで触ってしまったせいで、
自分が傷ついたこともあった。

この世の中には、自分の主観だけでは受け止めきれない、
理解できないようなものごとが本当にたくさんあるということ。
片側の視点だけでは、何も判断できない。
それを痛感した。

流れる旅人として、常にどちらに転がっても対処できるように、
ニュートラルな姿勢を保つべきだとケイヨウは言った。
その通りだと思う。旅人の立場として。
だけどどうしても感情が先に動いてしまう時、
それを抑えるのがすごく苦しかった。
心が疲弊して、思考がストップした。

具体的には宗教に絡む出来事がこういう状況を招いた。
長くイスラム教圏に居たためか、
この宗教に対して考えさせられることがどんなに多かったことか。
細かい出来事やエピソードにはいつか触れるとして、
ただひとつだけ明確にわかったことだけをここで書きたい。


イスラム教という宗教が、矛盾だらけの人間が作った、
ただの一宗教に過ぎないということ。


戒律から生まれる容姿や宗教的建造物が、
日本のそれとかけ離れているせいで、どこか特別視していた。
他の宗教と何ら変わらぬただの一宗教なのに。





そう、いつでも宗教と政治が物事を複雑にさせる。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の関係性。
それを知れば知るほど、自分が仏教国であることに安心した。
他宗教を否定することなく、「より良く生きるための哲学」としてそこに存在する仏教。
この「より良く生きるための哲学」という表現は、
旅中に出会ったお坊さんから教わったものだ。

それに加えて神道がある。
あらゆる自然界のすべてを生きとし生けるものとして崇拝するその姿勢は、
物を大切に扱うこととか、地球環境を意識することに繋がる。
それが日本独自の教えであることに、私は誇りを持てる。

政治に関してはもう辟易している。
他の国の若者の多くがそうであるように。
一番わかりやすい日本と中国の関係性だって、
ここ中国を自分の目で見なかったなら、もちろん私は中国に対して偏見を持っていただろう。

あまりにも大きなこの国を、私は一体何キロ陸移動したんだろう。
ウイグル自治区だけで3,000キロ、その後青海省、四川省、湖南省、福建省と横断し、
そこからさらに北京へと北上。
一万キロは軽く超えただろう。
地域によって料理の味付けも変われば人の外見も違う。
言葉も、文化も、宗教さえも。
ウイグル自治区、チベット自治区は分かりやすい例として、
客家という民族がいることも新しく知ったし、
他にもまだ外に知られていないような小さな民族がたくさんあるはずだ。

当然、それぞれの土地において民族主義を唱える人間はいるわけで、
こんなに多くの多種多様な人間を一国にまとめる中国政府の底力って、
どれほどのものなんだろう。
政治力だけじゃない、経済力もだ。
衝突も多いだろう。だからこそそれらの分裂を沈めるために、
どこかに敵国を作る必要がある。
そうすれば民衆の意識をまとめやすいからだ。
その標的が、日本であり最近では韓国でもあるんだろう。

中南米、アフリカではsamsunの一人勝ちだったのに対し、
ここ中国では断然アップルだ。
アメリカと中国の関係性をこういうところで思い知らされる。

けれど常に政治は政治、人は人。
つい先日も列車で向かい合わせになった中国人青年と、
日本と中国の領土問題に会話が及んだ。
もちろん相手からその話題はふってくるわけで、
私達から進んで投げることはない。
彼は、日本は軍国主義なのかと聞いてきた。
私達は誤解を解くために知り得る限りの言葉で思いを伝えた。

その後も険悪なムードになることもなく、
一緒にご飯を食べようと誘ってくれたり、
カードゲームを楽しんだりした。

彼はこう言った。

「私達は皆同じ百姓です」

言わんとしていることが伝わってくれた。













旅中で一番多かった質問、そしてこれからもされるであろう質問、
それは、

「今まで旅してきてどの国が一番良かった?」

長い間これに対する明確な答えが持てなかった。
だから大陸ごとに分けて、

「中米だったらグァテマラかな~」

なんて答えたりもしていたけど。
旅が全て終わる今ならこう言える。

「どの国もすべて良かった。」





良くない国なんかひとつもない。
何も無い国なんてひとつもない。
そりゃもちろん、解せない部分、好きになれない部分、
言ってみれば短所のようなものは、それこそ全ての国にもあるけれど。
よく、旅人の個人的主観で、

「あの町は何にも無い」

とか言う人がいるけれど、
そこで生まれ、人生を綴り、一生を終えていく人間の暮らしが確かにあるんだ。
それを「何も無い」の一言で片付けてしまうのは、
あまりにも身勝手過ぎないか。

だから私はこう答えたい。

「すべての国が素晴らしくて、同時にすべての国が欠点を持っている」

完璧な国なんかない。日本も含め。
だからこそ国は変わり続けていくんだろう。
そして国と国との関係性も、変化し続ける。
昔は行けなかった国に今では行けたり、
逆に昔は行けたのに今は行けない国なんかもあって。
常に変わり続ける生き物のようなこの世界において、
2012年~2013年の約二年間、ケイヨウと共にしたこの旅は、
やっぱりこの年でしか実現できなかったんだ。








本当に、ほんとうにたくさんの人々に助けられて達成された旅だ。
ふとしたきっかけで出会い、私達を家に招き入れ、
ベッドと食べ物を与えてくれた優しい現地の人々。
宿で出会い、同じ旅人という境遇だからこそ共鳴し合い、
朝まで語り合った旅人。
facebookの更新がないからと、心配してわざわざメールをくれた日本の友達。
そしていつも、どんな時も心を寄せてくれていた家族。



そして、すべてを共にしたケイヨウ。

どんな時も、『二人でいる在り方』を一番に考えてくれていた。
彼の場合、私が居なかったとしてもきっと旅を達成しただろう。
私が居たから、諦めたこともあっただろう。
逆に私が居たから、もっとお金がかかってしまっただろう。

それでも常に、二人が一緒にいる意味を大事にして、
側に居てくれた。見守ってくれた。

旅をしていて不安や恐れなどひとつもなかったのは、
いつも安全なルートを考えてくれていた彼のおかげだった。




誰ひとり欠けても成し得なかった旅だ。
それが終わろうとする今、あふれてくるのはそんなみんなに対しての感謝の気持ちしかない。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ほんっとに。









この旅の経験は、これからの私達の人生に大きく左右する。
もうその道筋はとっくに定めてあって、覚悟も決めた。
だから、旅自体は終わるかもしれないけど、
生き方としては切れずにずっと続くわけで。


それについて具体的に物事を進めたら、いつかご報告します。


とにかく恩返しがしたい。
私達ができる恩返しの方法を、みつける。
たくさんの愛情を注いでくれた世界中の友達に、
今度は日本に来てほしい。
彼らだけじゃなく、彼らの友達や家族だっていい。
もし日本に来るチャンスがあるなら、必ず私達を頼ってほしい。
出来る限りの力でサポートしたい。
愛情を注ぎたい。
彼らが私達にしてくれたように。









とにかくまずは、いやってほど湯船に浸かりたいです。
プレミアムモルツが飲みたいです。
冷や奴が食べたいです。
秋刀魚が美味しい季節だなぁ。日本酒と一緒に突っつきたい。
ラーメンが、味噌汁が、おにぎりが。
すべての和食が恋しいです。

帰国後はしばらく実家でゆっくりさせてもらった後、
また動き出します。




こんな長い文章読んでくれてありがとうございました。
近いうちに会いに行きます。
細かい話は、その時にゆっくり。






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2013年9月27日
中国、北京空港にて









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Author:junko
北の大地でお魚食べて育った少女が、
世界へ旅に出ます。

写真が好き。
でも人はもっと好き。

まだ見ぬ出会いを、笑顔を、そして
感動を求めて。

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