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アッキーナ

Posted by junko on 15.2012 パラグアイ Paraguay    0 comments   0 trackback



翌日、約束の朝10時を目指して宿を出たものの、
気持ち良い朝の散歩でついつい寄り道してたら、
10分くらい遅刻してしまった。




DSC_0065.jpg





ウユニ 776





そんなダメ大人を笑顔で迎えてくれるアッキーナ。
いや正直、彼女はかなり肝のすわった女の子で、
14歳とはとても思えないほどしっかりしている。




彼女の横にはもう一人スミちゃんという女の子が居て、
今日のランチに私達のために得意の野菜炒めを作ってくれるという。

「ま、カップラーメンだけじゃ味気ないしね」

そうアッキーナが言うと、スミちゃんはにっこり笑っていた。




農協でアッキーナおすすめのカップラーメンを買うと、
さっそく彼女のうちへと向かう。

「あそこがサチんちでー、あ、あそこがマユミんち!」

そうやって友達の家を案内してくれるんだけど、
まぁどの家も立派なこと!
大きいしキレイだし、皆さん、立派なおうちを建てられているのです。



そんなふうにして赤土の道を歩くこと3分。
アッキーナ宅到着。
近っ!

門がまえからしてやはり立派な家屋。

「おじいちゃんが造ったんだ」

「えぇぇぇ!?おじいちゃんが!?」

「うん、そう。だから全部、木なの。
 でもお父さんがそろそろ建て直すって言ってるんだ。
 YO(ジョ)はこのままでいいって言ってるんだけどねー」

そう、本当に全て木でできている、あったかいステキなおうちなのだ。



そんなおうちに、ご両親も居ないというのに上がらせてもらう。
ほんとに旅人の図々しさといったらもう。

おうちに着くなりアッキーナは、パラグアイの伝統衣装を着て見せてくれた。





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ウユニ 787





すべて手作りのオーダーメイドらしい。
細部の作りがすっごくキレイ!




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すいません、私も着させてもらっちゃいました





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彼女はこれを着て、これまたパラグアイの伝統舞踊、
ダンサ・デ・ボテージャス=ボトルダンスを踊るのだ。
なぜボトルかというと、ワインボトルくらいの大きさの瓶を、
瓶底の部分と蓋の部分を繋ぎ合わせて、
5~6本、多い人だと10本も頭の上に乗せて踊るから。
バランス感覚がものをいう、すごーーーーく難しそうな踊り。
彼女はもう小さな頃からこれを習っていて、
イグアス日系入植50周年記念のイベントで踊った模様を、
ビデオで見せてくれた。
バレーボールはできるし、踊りもできるし、
何でもできちゃうスーパーガールなのだ。

この入植50周年記念のイベントはかなり盛大なもので、
他にもたくさんの若者が、日本太鼓や、日本舞踊を披露していた。
1世でこの地に渡って来た方々が、
もともと身につけていたニッポンの伝統音楽、舞踊を次世代へと受け継がせ、
しっかり現代の若者へと繋げている。

さらに、アッキーナの学校は小中一貫で、
その学芸会のビデオも観させてもらった。
親族はもちろん、町中から観客が集まり、
学校という枠を超えたみんなのための学芸会。
きっと、ご近所同士知らない人はいないだろうし、
地域の交流は密度の濃いものなんだろう。









その後、スミちゃんが作ってくれた野菜炒めでランチを食べ、




ウユニ 795





「可愛くなりたいでしょ?」と、髪の毛を編んでくれたり、




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さっきの衣装を着る時は、やっぱりこういう風に髪を編むんだって





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イッテQのビデオを観ながら、、、日本のTV番組を私達以上に知っている





ウユニ 800
人んちでくつろぎすぎです




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アッキーナとつーちゃん。あんま歳変わらなく見えるねw







なんだか学生の頃に友達の家に遊びに行ったような感覚で、
すっかり寛がせてもらった。




ウユニ 801
続々と集まるアッキーナの仲間、サチちゃんとマユミちゃん




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黒木メイサ似のサチちゃん。愛二、デレデレしすぎです。








どうしてこんなによく知らない旅人に良くしてくれるんだろう。
彼女を見てると、とにかく『日本』に対する憧れが強い。
一度研修で日本へ行ったことがあり、
その時の思い出が色濃く刻まれているよう。


「ほんとは高校は日本で進学したかったんだけど、、、
 ジョがいなくなったら親寂しがるしね」


そう言っていた。




私達がおいとまする時にはお母様も帰って来られて、
ちゃんとご挨拶することができた。
勝手に上がってしまったことには全く嫌な顔せず、
今後の旅の無事を祈ってくださった。





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もちろんこの日も、私達はバレーボールで練習試合の相手をさせてもらう。
昨日よりも一気に距離が縮まった彼女たちと一緒にプレーするのは、
本当に楽しかった。








ペンそのという宿は、もともと一世としてこの地に渡ってきた園田さんという方が
住んでいたおうちを、その息子さんが改築して経営している。
宿と同じ敷地内に、その園田さん一家は住んでいて、
一世の園田さんは宿にもちょこちょこ顔を出してくれる。

そして、たくさんの日系の方々の歴史を知った。

日本人移住区史料館なるものに案内され、
戦後、政府の移民プログラムによってたくさんの日本人が期待を胸に南米へ渡った日本人、その一部がここパラグアイ、イグアス居住区へと住みつき、
大豆の栽培で町を興してきた。
当時の人々の努力により、まったく手つかずの不耕地から始まったこの大豆栽培。
昨年の東日本大震災の際には、大量の大豆を寄付し、
岐阜県の業者と共に被災地へ豆腐を届けたそう。

日本人としての誇りを高く持ち、
パラグアイという日本から遥か遠くに住みながらも、
日本の文化を継承していく。
園田さんは、今、外国人が日本人に対して持つ好意的イメージは、
少なからずこういった日系移住者達の努力によるものだと話す。
事実、旅人の私は日本人であるだけでそういった好意的イメージをもたれ、
恩恵にあずかっている、先人達に感謝する日々だ。
だからこそ、もっと海外に住む日本人と日本国内に住む日本人とが、
協力し合うべきだと話されていた。






日系の方々の歴史は、学校では習うことがなかった。
現在進行形で進むこの歴史、
ここに来なければ知り得なかった事実。








このブログを書いている今日は、2012年3月15日。
つい先日、アッキーナからこんな報告があった。

「日本の高校に行けることになったよ!」

きっとたくさんご家族とも話し合った結果なんだろう。
彼女自身は、とてもその日を心待ちにしている。
よっぽど、日本へ行きたかったんだろう。



日本の外で育った日本人が、日本国内で生活していく。
言語としては全く問題はないけれど、
一体どんな感覚なんだろう。
私にはまったく想像もできいけれど、
彼女が自分のことを「ジョ(YO)」と呼ぶのは
いつしか消えていくんだろう。

スペイン語で「私」は「ジョ(YO)」
日本語とミックスした造語のような、そんな方言にも似た言葉を、
いつか歳を取って、懐かしく思い出すのかな。


とにかく、アッキーナが日本でたくましく育っていくのは間違いない。

「日本で就職して、ガッポガッポ稼ぎたい」

若干14歳にしてそう言い放つ彼女の未来に、
心配はご無用だ。






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Author:junko
北の大地でお魚食べて育った少女が、
世界へ旅に出ます。

写真が好き。
でも人はもっと好き。

まだ見ぬ出会いを、笑顔を、そして
感動を求めて。

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