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帰る場所

Posted by junko on 11.2011 日本 Japan   2 comments   0 trackback

八月某日、千葉家の昼食。


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大根と鶏肉の煮物(煮崩れしておりますが)


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京都の叔母が送ってくれた大根の漬け物


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愛して止まない冷や奴(ミョウガと大葉、生姜の三点贅沢盛り)


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父が毎日干して作るホッケの一夜干し(千葉商店オリジナル)


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八月某日、千葉家の夕食。


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夏のサンマは刺身が一番、そしてショウガは欠かせない


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八月某日、千葉家の昼食。


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茄子の揚げ煮浸し


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京都の叔母が送ってくれた瓜の漬け物


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舞茸とお豆腐のお味噌汁


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日本が世界に誇る我らが納豆


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八月某日、千葉家の夕食。


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脂ののったキングサーモン


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には本ワサビでしょう


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氷下魚の一夜干し


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八月某日、千葉家の昼食。


やはり京都の叔母が送ってくれたカブの漬け物


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煮しめ(出汁は干し椎茸派です)


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父が毎日干して作る柳カレイの一夜干し


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しめじ、大根、お豆腐、油揚げ、葱のお味噌汁(具沢山にもほどがある?)


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八月某日、千葉家の夕食。


お蕎麦はぜったい卵でとじちゃう


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いつもおんなじようでいて、同じじゃない。
何十年も変わらない食卓テーブル、定位置の椅子。
それぞれの箸、それぞれのお茶碗。
それを使う人がいなくなったとしても、
食器棚にはしっかりとその存在が。





家族の集まる食卓、
それが私の帰る場所。





絶対無事に日本へ帰ろうと誓った日。
2011年10月10日。

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花嫁 in the Green

Posted by junko on 04.2011 日本 Japan   4 comments   0 trackback
この夏を思い出した時、
ほんわかあったかい絵が浮かんでくる。
家族や親戚に囲まれて、最高の笑顔を輝かせる彼女は、
その純白のウエディングドレスを見事に着こなし、
本当に、本当に美しかった。







初めて彼女から結婚の報告を受けたのは、
たしか去年の春頃だったろうか。
私は釧路で、彼女は東京でそれぞれの生活を送っていた。

或る日、手紙が届いた。



こんなにデジタル化した時代の中でも、
私達はよく手紙を送り合っていた。
毎年の誕生日に欠かさずバースデーカードを送ってくれる彼女。
書き出すと何枚も何枚も、気づけば同じ柄の便箋は無くなり、
80円切手じゃ足りないくらい封筒が厚くなってしまう私。



封筒を開け、ゆっくり目を通す。
見慣れた彼女の字。
季節の挨拶、最近会った共通の友達の話、仕事のこと。
そんな内容の後に、
あまりにも自然に、
「結婚」の二文字が出てきた。
そのさらっとした文章に私のよく知る彼女の性格がすごく表れてて、
すーっと心に沁みこんだ。
直後に、とてつもない喜びの感情が芽生えた。
本当に嬉しかった。
その日の夕食時に、父親に興奮しながら伝えた。


「なっちゃん、結婚するんだって!!」




今日は、そんな彼女のことを気に入っている父のためにも(笑)、
彼女の結婚式の写真を載せたいと思う。
光栄にも式の撮影をさせてもらうことになり、
この夏、私は一時帰国した。
舞台は北海道、トマム。
安藤忠雄が設計したことで有名な水の教会でそれは行われた。


前日から式場入りし、まずは旦那さんと共に三人で乾杯。
ここモントリオールに来て、
唯一のエンターテイメントとして支出を許しているワイン。
フレンチシェフが身近にいる環境で、たくさん学ばせてもらい、
やっと選べるようにもなったワインを、彼女に贈りたかった。

ワインと言えば、その生産年をうまく絡めてギフトにしたりする。
ドラマとかでもよくある、
「君の生まれた年に作られたワインだよ」
とかそういうクサいやつ。
まぁそれに乗っかっているといえばそうかもしれないけど、
私は、初めて彼女に出会った年のそれを選んだ。



あれは遡ること19年前のこと。
当時、同じ地元の小学校に通う私達は、
それぞれの学校でバレーボール部に所属していた。
彼女がいた芦野ファイターズは、当時最強軍団として恐れられ、
我が愛しの新川アタッカーズは、中級くらいの位置を必死に持続させていた。

しかし、土地的に距離が近かったせいもあり、
よくこの二校は練習試合を行っていた。
今わかるのは、弱小側の我がチームから申し込んでいたのだろう。

11歳の時点で160cmを超えていたノッポの私は、
レフトのアタッカーという、コートの前列左側でアタックを打つ役、
それを担っていた。
反対に彼女は、ライトつまり右側のアタッカーだった。
ちょうどネットを隔てて向き合うポジションにあり、
互いのスパイクをブロックする関係でもあった。
つまるところ、互いの顔もよく見れたわけである。

彼女は昔から近視だったのだろう。
眼鏡をかけていた。
だけど普通の眼鏡じゃジャンプした時に落としてしまうため、
スポーツ用のバンドで額に固定させていた。
そのバンドのせいか、こんもりと盛り上がった頭部には、
梅雨時に現れては女性を困らすクルクルヘアーがあった。
そう、彼女は天パのショートだった。

これ以上詳細を説明すると名誉毀損になるのでやめておくが、
あの頃の彼女の写真を見てそれが本人だと気づく人は皆無だろう。
私以外。へへ。



そんな私達が初めて出会った1992年に作られた貴腐ワイン。
Moulin Touchais
Cote du Layon 1992


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式前夜にも関わらずしゃぶしゃぶを食らいつく。
いつもと変わらない、でも確かに幸せに溢れている時間。


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ずーっと見てきた2人だから。
結婚式の前夜っていう、これも一生に一度の時間を共有できたことが、
すごく嬉しかった。
彼女達におやすみを言った後、
翌日に控えた式を想像し、少しの緊張とたくさんの期待で、
なかなか寝付けなかった。






そして迎えた当日。


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どんなに見慣れた北海道の雄大な景色も、
この2人の背景になると全然違う顔を持つ、と思った。


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そして一番好きなシーン。


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ベールをめくる、たった一つのその行為が、
なんだかすごく特別に思えた瞬間だった。





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終始笑顔の新婦のご両親。


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だけど。。
この時のお父さんは、どんな顔してたんだろうね。


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旭川から駆けつけた新婦のおばあちゃん三姉妹。
とっても明るくて、心底嬉しそうだった。


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遠く離れて暮らす家族や親戚が集まることって、
子供時代は気づかなかったけど、今はこう思う。
自分にとって久し振りに家族や親戚に会えるのが嬉しいだけじゃなく、
特別な意味を持つように。
誰かにとっても、同じように特別な意味を持つんだと。
だからこそ、冠婚葬祭どんな理由であれ、
親族が一同に集まるということは、大事なことなんだと。

特に今回は、彼女と旦那さんの意向で、
親族のみが集まる式だったから。
新婦の友人としては私一人で、新郎の方もご友人は二人のみ。
だから余計に、彼女がいかに素晴らしい家族、親戚に囲まれて育ってきたか、
そんなことを感じられた。
披露宴が始まり、場も温まった頃合いに参加者すべてにマイクが回り、
それぞれのメッセージが新郎新婦に送られる中、
そこに溢れる愛情を感じずにはいられなかった。


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ちなみに私も一言述べさせてもらったが、
正直泣き過ぎて、ろれつも回ってなかったんじゃないかと。
なんであんなに泣いちゃうんだろう。
涙は不思議だ。
嬉しくても流れるんだから。



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自分が生まれた時とおんなじ体重のクマさん、その名もバースデーベアー。


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泣いて笑って撮って飲んでの式はあっと言う間に。
気づけば新郎新婦それぞれの親族の方々と杯を交わしてる私。
初対面だというのにあの溶け込み様は、いかがなものか。



とにかく、こんなに美しい花嫁を自分のシャッターにおさめることができたのは、
私自身、本当に光栄なことだった。
ありがとう、なっちゃん。

そして。

おめでとう、なっちゃん。


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私の旅好きを開眼させてくれたのは、間違いなく彼女と共に得た経験。
大学時代、二人で廻ったスペイン、イタリアの旅が、
今の私の生き方のベースになった。
そんな意味でも、すごく感謝している。
何年先になってもいいから、
また一緒に旅したいな。
その時は旧姓で作ったあだ名で呼んでもいいよね?

「やなぎ~!」ってね。


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セカンドステージ

Posted by junko on 31.2011 日本 Japan   6 comments   0 trackback
何から書こうかなって考えた時に、
大好きな大好きな曲、
ハナレグミの、『家族の風景』が流れてきた。


あぁ。これだよやっぱ。


これしかないじゃんね。




直接伝えられた人と、そうでなかった人と。
うん、、たしか7ヶ月前もこんなくだりから始まったような気がする。

伝えたいことがあります。




去年の8月、私はトルコへ旅立った。
それから12月末までの約5ヶ月、ヨーロッパを廻りながら、
たくさんの、本当にたくさんの経験をした。
見、聞、触、食、香、そして、感。
生きている実感を持てる日々、とでもいうような。
感情の振り幅は常に大きく、私自身を揺さぶった。


そして一番大きかったのは、
人の人生に触れたということ。


その人達の人生に触れなければ知り得なかった、
感情や思想のなんて大きかったことだろう。

イタリアの山奥で子育てをするバーバラ。
ポーランドの博物館で子供たちに教育をするアニータ。
ベルギーで無声映画に即興演奏をつけるピアニストのフランソワ。
パリで自分に正直に生きる血の繋がった親戚、メグ。
スペインで高校教師をしながら結婚式の準備を進めるバージニア。


みんなみんな、強いメッセージをくれた。

それは彼らがそうしようと意図していたわけではなく、
無意識的に発せられたもので、当時の私の心にすーっと吸い込まれていくような。
そんなメッセージ。

そして、私がそれまで抱いていた思想と感情は、変わっていった。

最初は、変わることを恐れていた。
明らかに変わりつつある自分を抑制して、見て見ぬふりをしようとした。

そんな時だ。


人生を変えるほどの、大きな出会いがあったんだ。


変わることに抗えないほどの出会い。
そんなのは、人生初だ。
初めてだから、上手に事が運ぶわけがない。

深い深い迷路に入って、手探りで道を探した。
だけど迷路にはちゃんとゴールがあるんだね。
道をみつけた。


その道は今、カナダのモントリオールに続いていて。
私は明日、その道の上に立って、進む。



前回の旅で、満足するどころか、
私の好奇心はさらに肥大した。
旅友の話を聞くだけで、心がうずいた。
もっともっと、世界が見たくなった。
しかも今度は、大自然に身をおいて、地球のスケールの大きさに心を揺さぶられたい。
昔から気になっていた、キューバ、メキシコのコントラストの強い色を見たい。

と、なると。

中南米とアフリカという地名が浮上。


というわけで、今年いっぱいカナダに住んでお金を貯めた後、
再び旅に出るという夢が新たに生まれた。
そして、今度は一人じゃない。

カナダにはワーキングホリデーを使って滞在する。
そういえば、今年30歳になる私は、申請の年齢ギリギリだった。
そんなのも今となっては運命的なものに感じてしまう。



帰国してまだ間もないうちに、また!?と思う人も多いだろう。
家族もまた然りなわけで。
そしてそこには多大な心配が加わる。

どうして自分勝手な生き方しかできないんだろう。
心配ばっかりかけて、ほんとにただひたすら、頭を下げることしかできない。
それでも情熱は冷めるどころか毎日燃え続け、
家族への愛情も比例して増す。


そこにきて、今回の大地震。
考えた。
今、日本を離れることの持つ意味。
日本を離れるということは、家族からも離れるということ。
あんなに家族が一緒に居られることが奇跡に思える映像をたくさん見ておきながら、だ。

だけど、だからこそなんだ。
私は特に被災したわけではないし、そんな風に言うと大げさに聞こえるかもしれないけど、
改めて生を授かったような気がする。

だからやっぱり、精一杯生きなきゃだめなんだと思う。

自分の心に正直に
自分を信じて
自分の生きたい人生を
自分の一緒に居たい人の側で。


だから、私は予定通り明日、モントリオールに旅立ちます。



この日をずっとずっと心待ちにしていた。
また、新しいスタート。
先は読めない、だけど全然怖くない。



セカンドステージが始まる。


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3.11

Posted by junko on 13.2011 日本 Japan   0 comments   0 trackback
連日の報道。
恐ろしい映像。
見たことないTV欄。

情報、錯乱。

暖かい家で、柔らかい布団で、眠れる私達の方が情報過多になって。
寒い体育館で、固い床で、眠れぬ夜を過ごす人達に情報が届かないなんて。
彼らは、ヘリから俯瞰で撮った津波の映像なんて未だ見ていないだろう。
だけど、体感している。


一体どうすればいい?


もどかしい思いをしてるのは、
被災を逃れて安堵感も束の間、何もできずにやりきれなさを抱える外側の人間みな同じだろう。


報道する側も、必死だ。
本来ならそこから離れているべき場所に、向かっていくわけだ。
カメラが、記者が、必死で伝える。
多分現場には、外にいる私達にはまだ見えてはこない、
人と人との繋がりが持つ強さが存在しているはずだ。
助け合う、日本人という国民性。
それを信じたい。


旅先で出会った人々から、応援のメッセージが届く。
世界中が注目している。
こんなにも、現在の日本の映像が世界じゅうの人々に見られる機会もないはずだ。
私たち日本人が、どんな暮らしをしているのか。
どんな街で、どんな家で、どんな車で、どんな学校で、
どんな服を着て、どんな物を食べているのか。

炊き出し、、そう、おにぎりなんだよ。
手の温もりが伝わる、おにぎり。
寿司じゃないんだよ。

ポーランドで出会ったある女性が、こう言っていた。

「今の日本が知りたい」

きっと彼女なら、流れてくる映像を真摯に受け止めてくれるはずだ。



その日、その時、その場所に居たか居ないかで、
人生が決まってしまうなんて。
宿命というのは、容赦ないほど厳しい。

本当に、本当に、
ひとりでも多く、助かる命があってほしい。


  

プロフィール

junko

Author:junko
北の大地でお魚食べて育った少女が、
世界へ旅に出ます。

写真が好き。
でも人はもっと好き。

まだ見ぬ出会いを、笑顔を、そして
感動を求めて。

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