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交差した人
久し振りに一人になった。
一人で荷物を背負い、
一人で歩いて、
一人でメトロに乗り、
一人でATMからお金をおろして、
一人でチケットを買い、
一人でバスに乗った。
なんだ、やれば出来るじゃんね。
すっかり啓陽に甘えきっていたと思っていたけど、ちょっとだけ自信が舞い戻った。
彼らは『山の男』になる。
もうそれは揺るぎない決心で、情熱で、欲なんだ。
“ 女の入れない領域 ”
そんなものがこの世には、ある。
全ては共有できない。
でも全てを共有することだけが、共に生きていくという事じゃない。
今の私にできること、それはこの一人の時間を心配かけずに過ごしつつ、
彼らの無事を祈り、応援するだけ。
大丈夫、きっと登頂の果てに、帰って来る。
『クリチバ』
その都市の名前は、自分の名字も含まれているというのもそうだけど、
それだけじゃなく記憶に深く残る理由がある。
昔、付き合っていた男性(なぜか「元カレ」という単語にすごく抵抗を感じてしまうのは私だけかなぁ)
二学年下だった彼が、大学の卒業旅行でブラジルに行った時期、
私は東京での生活に別れを告げて、実家へ戻ったばかりだった。
大好きだった東京での仕事、暮らし、友達、そして彼の元を離れてまで、
故郷へ帰る理由がそこには在った。
色んな感情が入り交じっていた頃、
彼から何枚かのポストカードが届いた。
それは全てブラジルからのもので、
その中でもひときわ心に残ったのが、クリチバからのものだった。
手紙を書くとき。
その間ずっと、それを送る相手のことを考え、想いをはせる。
だからこそ時間もかかるけど、心が込められているように感じるんだろう。
クリチバから届いたポストカードには、そんな彼の想いが詰まっていた。
その彼からつい先日、婚約したとの報告をもらった。
別れてからも、お互い大事な節目には連絡をしようと決めていたけれど、
いざそれに直面すると、正直やっぱり驚いたし、胸がきゅーーーーーーってなったりもした。
だけどそれよりもはるかに強く、祝福の気持ちが溢れた。
「幸せになってほしい」
そう心から願える相手からの、直々の報告。
やっぱり嬉しかった。
そんなクリチバに今、私は居る。
あれからいくつもの月日が経って、たくさんの選択の果てに、ここに立っている。
一度は交差した人が進んだ道とは、別々の道を歩いている。
心はとても穏やかで、向き合っているのは現実で、
見据えているのはやっぱり、未来しかない。
「昔の男が結婚する」なんて、きっとたくさんの、
そうたくさんの独身女性が経験していることなんだろう。
ちょっとの切なさも愛しく思えるってことは、
少しは大人になった証拠かな。
彼への祝福の思いをここ、クリチバに捧げよう。
本当に、本当におめでとう。
一人発ち
2012年2月24日
サンパウロの次の目的地。
それを決めることが、最大の難関だった。
何故なら私は、或る一つの事を受け入れなければならなかったから。
その事というのが、すごくすごく、受け入れ難いものだったから。
時はさかのぼって再び弓場農場でのある日。
私達はいつものように食堂で昼食を取っていた。
目の前にはタクヤとタイヘイも居た。
タイヘイは前歯が一本欠けていた。
それを自分でもネタにしてたから、周りもよくイジっていた。
私もそう。
その前歯を失う瞬間のエピソードを聞くまでは、、、
「この歯、山の上で抜けたんスよ、、」
彼の言う山というのは、南米最高峰と呼ばれる『アコンカグア』
アンデス山脈の中でも飛び抜けて高い、標高6,962mの山だ。
アルゼンチンのメンドゥーサ州立公園に位置する。
今年の1月、タイヘイはそれに登った。
しかも登頂した。
しかも1人で。
それがもーーーーーの凄いことなんだと認識するのは、
この話を聞いてから一ヶ月後のこと。
もともと登山が好きな彼は、今回の旅で何度か山に登っている。
ボリビアではワイナポトシというこれまた厳しさで有名な山に登った。
標高が高い山では高山病がとにかく怖い。
頭痛、吐き気に襲われて何もできなくなってしまう。
だから彼は高度慣れするために、
標高3,650mのラパスで、しかも坂道の多いこの街で、
毎朝ジョギングして身体を調整していた。
それぐらい登山に照準を合わせ、
訓練や準備をしてきた彼でさえ、登頂は本当に大変なものだったという
『アコンカグア』という山。
なぜそこで前歯が抜けたのかは今でも謎だ。
まぁ、それぐらい体の全細胞が弱ってしまうのだろう。
なんせ標高約7,000m。
想像もできない世界だ。
そんなタイヘイの山ばなしに、愛二と啓陽が食いついた。
嫌な予感がした。
啓陽と今までの互いの旅の話をする時、
必ずといっていいほど出てくる話題がある。
ネパールはアンナプルナという山でのトレッキングだ。
2年前の5月、啓陽と愛二は共にネパールを旅していた。
二人にとって初めてのトレッキングは、
標高4,150mのベースキャンプまでのものだったけど、
それはそれは苦しくも厳しいものだったらしい。
けれどそのぶん達成感は大きく、深く記憶に刻まれている。
特に山の上から見た朝日の美しさは凄かった。
写真で見せてもらっても本当に素敵なものだから、
実際に自分の目で体感したならばもっとだ。
まさかここ弓場農場でそんなネパールの山を思い出させる話に出会うとは、
もちろん彼らも想像していなかったこと。
けれどちょうどその頃、啓陽が読んでいた本があった。
植村直己の『青春を山にかけて』
まさに山尽くしである。
何か目に見えない力で、山に引き寄せられている気がした。
タイヘイの話を前のめりになって聞いた後、
愛二と啓陽は軽く興奮していた。
その興奮はやがて好奇心へと変わり、
『アコンカグア』という未知の世界を想像しては、
二人で盛り上がっていた。
、、、私以外。
初めは冗談かと思ってたけど、
その日以来彼らが何度もタイヘイの話を聞く態度で、本気だってすぐにわかった。
それに啓陽は、一度やってみたいと思ったらとことんやらないと気がすまない性格なことも知ってる。
この旅は彼にとって、そういうもんだってことも。
「好奇心をすべて行動に移す」
それがこの、人生の大事な時期を賭けた彼の旅だ。
日を追うにつれ、じわじわとゆっくり、でも確実に、
彼らがアコンカグアへの挑戦に気持ちを固めているのが伝わって来た。
だけどどうしても私には、勢いだけで進んでるとしか思えなかった。
だって突然すぎるから。
今までその存在さえ知らなかったアコンカグアという山に、
特に登山経験を重ねてきたわけでもなく、
高度馴化するための訓練をしたわけでもなく、
いきなり挑戦するなんて。
無謀すぎる。
ちょっとネパールでトレッキングがうまくいったからって、
南米最高峰なんて呼ばれるくらいの高レベルの山に挑戦するなんて、
甘いんじゃないか?
そんな風にも思えた。
もちろん彼らだって立派な大人だから、
命の危険を顧みてまで無謀なことはしないはず。
しっかり下調べもしていくはず。
だけど、山って怖いって聞くし。
天候の変化は激しくて、予期せぬ事態だって起こりうる。
そんな時、プロの知識があるわけでもない彼らが、
独断で行動して果たして良い結果になるだろうか?
私が山について知らな過ぎるからこんな風に思うんだろうか?
私の頭ん中は悪いことばかり廻っていた。
心配、不安、疑問、、、
それを口に出すともう堂々巡りで、
啓陽や愛二もまだ答えられないことが多過ぎた。
ただ一つ、挑戦するという揺るがない覚悟を除いては。
可能性を潰すことはしたくなかった。
好奇心を尊重したかった。
「行かないで」とは、言えなかった。
だから私は受け入れることにした。
そう思えるまでに時間はかかったけども、
応援することに決めた。
決めたからにはもう、前に進むしかない。
彼らが山に登るのに必要な期間は約二週間。
アルゼンチンのメンドゥーサという町を拠点にして、
そこで登山に必要な道具をレンタルする。
その間、じゃあ私はどうしようか?
弓場農場へ戻って、もっと深く自給自足について学ばせてもらおうか?
それともパタゴニアあたりまで下って、私は私でトレッキングしようかしら?
ひとまず私は、ブラジルの他の町も見てみようと思う。
リオとサンパウロだけじゃなく、南の方の町。
その後、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでゆっくりしながら、
彼らの帰りを待とう。
3人がサンパウロを発つ日は2月24日と決まった。
彼らがアコンカグアに登るのに、もうあまり猶予はなかった。
何故なら寒くなり過ぎると、雪も積もって登れなくなってしまうから。
タイヘイが挑戦した1月がベストシーズンで、
3月はもうギリギリなのだ。
愛二と啓陽はサンパウロからプエルトイグアス経由でメンドゥーサへ。
私はクリチバという町へ行く。
出発の朝、私の方が早いバスなので、先に発つことに。
まさか二人に見送られる日が来るなんて、
まったくもって変な感じ。



言いたいことはいっぱいあったけど、
こういう時ってほんとダメだ、何にも喋れなかった。
ハグされて泣きそうになるのをなんとかこらえたら、
こんな顔しかできんかった。
「そいじゃまたね。行ってきます!!」
そんな言葉で自分をあおって、一歩踏み出す。
久し振りの一人旅。
そう、私は一人発ちした。

「はしごする」って表現、たまんないです
2012年2月22日
ブラジルの首都サンパウロは、とんでもなく大都会だ。
メトロの切符を通す機械なんて、
東京並に近代的で超スムーズだ。
道路もゴミなんか落ちてないし、キレイに舗装されてる。
街を歩く人も洗練されているし、
久し振りにこんなスーツに身を包んだ人を多く見たなぁ。
そんな面だけを見れば、
もはやブラジルは先進国とも言える勢いだ。
でも。
そうは言い切れないのが、犯罪率の高さ。
弓場に居たころ、辻さん(兵庫県出身)からこんな話を伺った。
「この国の法律はほんま終わってるで。
犯罪者の家族には月々何万円も援助が支給されるくせに、
被害者家族には一文も出ぇへんからなぁ。」
「え!!そんな法律があるなら、貧しい家庭の人は、
家族を救うためにわざと犯罪犯すことも有り得ますよね?」
「そうやで。そやから刑務所はもうどこもパンパンや。
ほんで刑務所におる奴らは、もっと待遇良くせぇ言うて
すぐ暴動起こしたりするらしいからな。ほんまひどい話やで。」
「へぇ〜、、そんな法律、なんで改正されないんだろ、、」
「法律だけじゃない、教育も終わってるで。
うちの娘の高校なんて、教師が普通にすぐ休みよる。
教師の都合で、学校が休みになることなんてざらにあるで。」
「まぁ、生徒はそれで喜んじゃうんでしょうけどねぇ」
「あいつらろくに数学もできひんで。
俺ビックリしたもんな。
日本だったら小学校レベルの計算が高校生でもできひんなんて。」
日本に生まれ育ち、日本の教育を受けた辻さんだからこそ、
比較して知り得たこと。
彼は1970年代に自転車で世界一周をし、その過程で弓場農場に出会い、
弓場の暮らしに惚れ込んで、移住を決めたという。
そして弓場で育った女性と家庭を築いた。
そんな辻さんが唯一受け入れられないのが、
ブラジルの法律と教育の質だという。
結局、さらに学問の高みを目指すには、私立の学校に通うか、
民間の塾なり何なりに通わなければ不可能らしい。
貧しさと、教育の低さは比例している。
その先に在るのは、やはり犯罪。
負の連鎖ってこういうことか。
だから、どんなにインフラが整ったとしても、
どんなに物価が高くなったとしても、
どんなに洗練された人間が増えたとしても。
ブラジルは今のままである限り、先進国とは言えないんだろう。
サンパウロでは鹿児島県人会という施設に泊まった。
ここはその名の通り、サンパウロに住む日本人の中の、
鹿児島県出身の有志による施設。
現在では下宿生や私達のような旅人が泊まれるような仕組みになっている。
実は後から知ったことだけど、
ここサンパウロには鹿児島県だけではなく、
日本全国たくさんの県人会が存在していた。
それぞれ三人の故郷巡りするのもいいよねって話したくらい。
北海道も、東京も、愛二の故郷、岐阜県もあったから。
しかし旅人の間では何故か鹿児島県人会が特出して有名だった。
三人ともサッカーに興味があるわけでもなく、
観光するにはあまりにも都会すぎるこの街で、
じゃあ何をしてたかっていうと。
居酒屋はしご!!!
ビンボーなのに何故そんなことができたかっていうと。
石田さん!!!
そう、私達には石田さんという強い強い味方がいた。
彼に初めて会ったのは、やはり弓場農場。
ちょうど私達が弓場を離れる前日、石田さんはやって来た。
株式会社ロッテのサンパウロ支店を取り仕切る石田さんは、サンパウロ在住歴1年。
弓場農場へのお土産に、ロッテが誇るチョコレート菓子、
トッポを持ってきていてっ。
ちゃっかり私も一本頂きました。
久し振りに食べたトッポ、、、美味しかった〜!
やっぱり日本のお菓子のクオリティーは高いです。
そんな石田さん。日本人コミュニティの噂で、
弓場農場の絶賛ぶりを耳にして一度は訪れたいと思っていたという。
そしてついにカーニバルの時期、仕事もオフとなり、
念願の弓場に来れたー!と喜んでいた。
そんな石田さんと、私達は一緒にカーニバルにくりだした。
そう、ダイゴに連れてってもらった地元のカーニバル。
さんざん飲んで楽しくなって、
石田さんはこう言ってくれた。
「サンパウロ来るならさぁ、連絡してよぉ!!
美味しいもんおごっちゃるよぉ!!!」
そんな嬉しいお言葉、私達が忘れるはずがございません。
酔っぱらいながらもしっかりと連絡先を記憶し、
ここサンパウロに来て、早速連絡を取ってみた次第でございます。
こんな図々しい三人組を、石田さんは優しくも出迎えてくださいました。
ここ、リベルターデという日本人街で。

銀行まで和風になっちゃってる
数日振りに会う石田さんは、
弓場の時とは打って変わってYシャツにスラックス。
「お仕事お疲れさまです!」
「いやいや、で、何食べたい?中華でもいい?」
「はい、もう何でも!」
そんな流れでまず一軒目は、
石田さんお気に入りの中華料理屋さんでお食事。
そういえば中華を食べるのは久々だった。
もちろん全て美味しくて、3人とも無我夢中で食べた。
石田さんのお仕事の話でまず盛り上がり。
『お口の恋人、ロッテ』というフレーズについてとか、
私がいかにコアラのマーチが好きかということで熱弁ふるったり。
「じゃ、日本酒飲みに次行く?」
そう言って同じ通りのすぐ向かい側にある居酒屋へ入った。
店内の雰囲気も、匂いも、すべて日本の居酒屋と何ら変わりない!

懐かしいおしぼりまで。。

魅力的すぎるメニューに悩みまくる2人。

石田さんはすごい人なのだ。
やっぱり日本酒は美味しい!
気づけば話のテーマは「旅」
石田さんも学生の頃、世界のいろんな国を旅していたという。
だからこそ、今私達がやっている事にすごく共感してくれて、
興味も持ってくださった。
積極的な石田さんは、この海外勤務をきっかけにポルトガル語をマスターし、
せっかくブラジルに居るんだからと、
休みの時間を使ってはサンパウロから外に飛び出し、
他の街を観光している。
やっぱり旅人魂って、ずっと残っていくものなのかも。
自分が行った場所、行きたいと思ってる場所、
そんな話は尽きずにどんどん楽しくなって、
ついに一本空けてしまった。
「じゃあ、もう一杯だけ飲み行く?」
もう、どこまででもついて行きます。
3軒目は、元お相撲の力士さんが開いている小さな居酒屋。
ここのおつまみが最高に美味しかった!

厚揚げとか酢の物とか、こういう和食から離れて長いから。
ほんとに嬉しい♡

相当楽しくなってきた頃。。
このお店で石田さんの旅トークが炸裂。
自分が訪れた中でオススメの街の情報を、
手書きのメモに書いて説明して下さるんだけど、
それが果たして後日解読できるだろうかどうだろうか、という代物で。
だけど石田さんのペンは止まらなくて、、、
みんなでゲラゲラ笑いながら、
それでも好奇心は突つかれっぱなし!
『ガイドブックに乗ってない、自分だけのスペシャルな場所』
そんなものをみつけられると、すごく嬉しい。
なんか、独占しちゃった気分で。
自分の足で旅、してる気分で。
それはきっと石田さんもおんなじで、
だからこそ彼から聞く話はどれも全部初めて聞くようなものばかり。
みんなどこか、
『普通じゃない』旅をしたいと願ってる。
自分の旅に、特別な何かを付加したいから。
さんざん喋って呑んで、いよいよ帰ろうか、ということに。
まだ地下鉄も通ってるからみんなで乗り込む。
数駅過ぎたあたりでなんとなく車内の会話に出てきた「ワイン」という単語。
すると突然石田さんがその言葉に反応した。
「美味しいワインが飲める店があるんだよなー!
あー、どこだったけなー。ていうか、行っちゃう!?」
ちょうど止まっていた電車から、駆け足でホームに飛び出す四人。
帰るって言ってたのに!
てか電車降りちゃったし!!!
もう笑い過ぎて楽し過ぎて、おなか痛かった。

石田さんに寄生虫のように絡む酔っぱらい
当の石田さんは、ワインのお店を必死で探してくれているというのに。

まぁ、そんな石田さんも相当楽しくなっちゃってたんだけど♬
真夜中に犯罪大国ブラジルの首都サンパウロでこんなことして、
いくら男3人とはいえども、やっぱり危ない場所は危ないんでしょう。
親切な青年が声をかけてきてくれました。
「コンナジカンニコンナトコデソンナコトシテチャダメデス」

日本ツウの彼、とっても上手な日本語で心配してくれて。
なのにやっぱり絡むし(笑)
気を取り直して、4軒目のお店へ。
まず自分達だけじゃ絶対入らない、いや入れないようなお洒落バーですよ。
そこで最後、しっぽり語り飲み。

石田さんと旅の話ができてほんとに良かった。
旅というものを純粋に肯定してくれる大人と話せて、良かった。
ちょっとだけ背中を押してもらえたような気になれた。
最後の最後までご馳走になりっぱなしで。
このご恩は忘れません。
本当に、ありがとうございます石田さん!!!
結局カネなのか、それとも。
2012年2月19日
日曜日でお仕事がお休みだったこともあり、
弓場のユウゾウさんとゴリさんが、
アルサトゥーバの町のバスターミナルまで車で送って下さった。
さらにバスを待つ数分の間、ビールまでご馳走になってしまい、、、
最後の最後まで、お世話になりっぱなしだったなぁ。
私達の次に向かう先は、リオ・デ・ジャネイロ。
ブラジルが誇る大都市だ。
目的は、「ブラジルといえば」で必ず答えに出てくるであろう、
あれ。
“リオのカーニバル”
これを観に行くために、この時期に合わせてブラジルに来たんだ。
宿の値段は通常の何倍にも跳ね上がってるし、
カーニバル会場への入場料は一体どんな値段なのかもわからないまま。
だから今回、私達は「泊まらない」という弾丸でいくことに。
夜行で向かい、朝にリオに着く。
日中はリオ観光して、夜通し行われるカーニバルを堪能し、
寝ずに翌朝を迎え、そのまま朝のバスでサンパウロへ向かう、という予定。
さらに私達には、もう一つの目的があった。
「本当の出会いは、二度目から」
啓陽くんの口癖のこの言葉。
これを今回またまた実行に移したわけです。
というかまぁ、自分達の都合の良いように解釈しただけって言われれば、
それまでなんすけど。
NYCジャズバーでの出会い
そう、このリオ在住のファミリーを、私達はおもいっきりアテにしたわけで。
NYCで出会ってから、何度かメールのやり取りをする中で、
リオに行くことが決定した時点で、思いきってお願いしてみた。
「一日だけ荷物、置かせてくれませんか!?」
お父さんのマリアーノは、優しくも快諾してくれた。
もちろん荷物のことだけじゃない。
地元の人に、街観光のツボを聞くのがいいに決まってるし。
なんせリオに行くんだから、会いに行きたいしっ!
夜行バスの中でおにぎりと豚カツを食べた。
20日の朝、リオのバスターミナルに着いてからもまた、
おにぎりと豚カツを食べた。
全部なくなってちゃって、すごく寂しい気持ちになった。
あぁ、すでに恋しい弓場の味、、、
トイレに向かった愛二が戻ってくると、
その横に見慣れた顔が2つあった。
「あー!!」
なんと弓場で共に汗を流したタイヘイ&タクヤコンビがいた。
私達より3日先に弓場を発った彼ら。
彼らはサンパウロで先に行われたカーニバルを観た後、
今朝ここリオに来たという。
「またどこかで会えると思ってたんすよぉ」
すると今度は、違う方向からまた見慣れた顔が。
「あーーーーー!!!」
なんと、つーちゃんだった。
つーちゃんは、私達が弓場に居る間サンパウロに滞在していた。
昨日リオに着き、夜通しカーニバルを観てきたという彼女の顔は、
かなり疲れきっていた。
そしてこれから朝の便で再びサンパウロへ戻るという。
さすがリオのカーニバル。
こんなバスターミナルの隅っこで、こんなに再会の嵐が続くなんて。
それぞれの行き先が別なので、またの再会を願いつつ別れ、
私達は早速マリアーノの家へ向かった。
知っているのは住所のみ。
だけど住所さえあれば、ちゃんと辿り着けるようになってるから不思議。
それって旅人の特技かな。
バスターミナルのどの辺に地図があるか。
どんな人に聞けば良い答えが返ってくるか。
なんとなく、わかるから。
もし間違っても、また出直せばいいだけのことで。
なんにも不安はない。
彼の家は、あの有名なイパネマビーチとコパカバーナビーチのちょうど中間地点という、最高に最上級なエリアに在った。
正直リオのバスターミナル近辺は、
治安悪っ!!て雰囲気がプンプンで、
やっぱり大都市といえどもそこはブラジル。
貧富の差はハンパない。
伝えていた予定時間よりも結構遅くなってしまって、
不安になりながらもインターフォンを鳴らす。
マリアーノの奥さん、イラーナが笑顔で迎え入れてくれた。
「よく来たわねぇ!今ね、マリアーノはジョギングに出掛けてるのよ」
そう言って素敵なリビングに通され、そのまま素敵なテラスへと通された。
「リオへようこそ」
ほんとに素敵なおうちだった。
イラーナは絵を描くとは聞いていたけど、
リビングは彼女の作品やその他のアーティストの絵がずらっと飾られ、
まぁお洒落だこと!
彼女がマリアーノに電話してくれたんだろう。
彼はすぐに帰って来た。
「いやぁ、よく来たねぇ!会えて嬉しいよ!」
たった一度、それも数分立ち話しただけの仲なのに、
図々しくも押し掛けてきた私達を歓迎してくれて、
申し訳ないやら有り難いやら。
でもね、旅って、図々しくなくちゃ続けらんないかも。
そんな開き直り、ダメかな。。
コーヒーやらフルーツやらを出してくれたり、
街の観光スポットを聞いたり、
あとは今までの旅の話や、これからの予定なんかを話していると、
あっという間に12時を過ぎてしまった。
正直私達としてはこのまま寛いでいるのも十分に良かったけども、
リオにいるのに街を見ないというのも、ねぇ。
と、いうわけできったない移動服からお洒落着に着替えてっ
コパカバーナビーチへ散歩♬

このファンキーな帽子、無料で配ってるから即get☆

街じゅうみんなお祭り気分♬


ふざけたメガネも(笑)
なぜだかこの地元の子達に、「写真一緒に撮ってー!」と頼まれて。
うれし♡

夕方4時を過ぎてもなお、強い日差し。
そしてビーチ沿いでカーニバルは始まり、、
スタジアムだけじゃなく、リオの街じゅういろんなスポットで
カーニバルは開かれる。
特にビーチ沿いは人気みたいで。
あっちもこっちも、凄い人、人、人ー!!


爆音の音楽が流れ、みんな口ずさみながら踊り、
もまれてもまれてもみくちゃにされて、
ヘトヘトんなって人混みから這い出てきた。
うん、もうここの雰囲気じゅーぶん楽しんだ。
イパネマビーチで夕陽を眺めつつ、
夜のための精気をためて、
さぁ、いざカーニバルの会場スタジアムへ!
地下鉄へ乗ろうと駅に向かうと、
ものすごい長蛇の列ができている。
みんなこれからおんなじ場所へ行くのかなぁ。
だとしたら相当アツい!!
またもや押されて押されてもみくちゃにされながら、
やっとの思いで地下鉄のホームまで辿り着いた。
テンション上がりまくった若者たちが、
おっきな声で歌ってはしゃいでいる。
それは電車の中に入っても変わらずで、
もうこの街全体が、人そのものが、カーニバルなんだって気がした。
会場に着くと、ちょうど花火があがった。
熱気に包まれたスタジアムに足を踏み入れる。
陽気なサンバの音楽、あふれる笑顔、飛び散る汗、終わらない歓喜の声。
さすが世界に誇る、リオのカーニバル!!!
と、書きたかった。
いや本当に、そうだったらどんなにスッキリ気分が良いことか。
だけど現実は、あまり記憶に残ってないのだ。
不思議なことに。
記憶に残ってないということは、
つまり心が動かなかった、ということ。
なぜって?
答えは簡単。
ケチったから、、、、、
ダフ屋で買ったいっちばん安いチケット。
33レアル=日本円にして¥1,400くらい。
だけど、安いにはやっぱり理由があって。
私達の席はもちろん一番端っこなんだけど、
隣のゲートよりも一段奥まって設置されているために、
メインの山車や踊りがすごーーーーく見えづらいのだ。
私達の目に映る時にはもう、その組のショーは終わり際で、
しかも席が遠いために全部がちっちゃいときたもんだ。
ここの会場では、一晩に5〜6組のチームが演目を披露する。
それぞれ一組あたり80分の持ち時間があり、
その間、彼らは同じ曲をひたすら繰り返して踊る。
始めこそ「あぁ、これがリオのカーニバルか!!」と心躍ったものの、
あまりに遠過ぎる対象と、周りとの温度差に、
すぐにその熱も冷めていった。
もちろんそれは私だけに起こったことじゃなくて、
隣を見れば愛二も啓陽もぐったりしている。
周りを見れば、どんなにショーが遠くとも、
リズムに乗って歌って、楽しそうにはしゃぐ地元の人も多い。
きっとこの時を楽しみにして来たんだろう。
一方私達ときたら、
昼間の太陽に吸い取られた体力はほんのちょっとしか残ってないうえに、
知らない音楽がひたすら繰り返し流れ、
だんだんその場に居るのが苦痛にも思えてきた。
「こんなんじゃいけない。
せっかく来たんだから、カーニバルを楽しまなきゃいけない!」
そう自分を奮い立たせるも、気持ちって頭で動かないもんで。
ちょっとリズムに乗ってみては、すぐに疲れて座ってしまう。
啓陽なんてしまいには眠ってしまった。
そんな姿を見てなおさら意気消沈し、気づけば私もウトウト、、、
要因はいくつもある。
いくら夜行バスで寝たとはいえ、身体の疲れは残ってるうえに、
昼間のビーチ散歩でかなり体力を使ってしまった。
さらにダフ屋で買った激安チケットは、
激安である理由がしっかりとあって。
せっかくのカーニバルを台無しにしてしまったのは、
すべて自分達のせいなんだけど、
じゃあどうすべきだったのかなぁ。
せめて、もうワンランク、上のゲートのチケットを買っていれば、、
せめて、昼間はゆっくり過ごして、体力を温存しておけば、、
せめて、一晩だけでも宿を取って、しっかり眠っていれば、、
せめて、情報がもう少しだけ手に入っていれば、、
まぁ、そんなん言ったって仕方ないな。
全部うまくいくわけ、ないんだから。
フィナーレも待たずに午前3時頃、私達は会場を後にした。
3人とも、無言だった。
カーニバルの感想を述べるにはあまりにも、疲れていた。
それに、、、語らなくともそれぞれの思いはわかっていた。
マリアーノは事前にマンションの管理人に話をつけていてくれて、
私達が何時に帰って来ても、彼の家の裏口の鍵を開けてもらって、
荷物だけ持って行けるようになっていた。
、、、はずだった。
マンションの玄関から何度覗いても、
管理人らしき人が現れない。
管理人室のインターフォンを鳴らしても、全く応答がない。
けれど時間も時間なだけに、
マリアーノの家のインターフォンを鳴らすわけにもいかないし、、
待つしかなかった。
マンションの玄関先の階段に座り込み、
3人とも無言で膝を抱え込んだ。
眠ったような眠っていないような感覚で、
1時間、2時間、3時間と過ぎ、7時になってやっと管理人が現れた。
さっそく中に通してもらい、マリアーノの家の裏口から荷物を取り出す。
ドアには、マリアーノからのメモ書きが残してあった。
「いい旅を!」
“リオのカーニバル”
有名過ぎるそのフレーズに、過大な期待をかけていたのかな。
それともやっぱり、お金がもっとあれば違っていたのかな。
どちらにしても、私の心は動かなかった。
だからカーニバルの記憶は薄く、写真も全然撮ってない。
それよりも、イラーナが出してくれたチーズがやたら美味しかったこと、
息子のリオールがほっぺに「FREE HUG」と落書きしていたこと、
愛二と啓陽が、ブラジル最強ビーチサンダルブランド、
『havaianas』のビーサンを色違いで買ったこと、
無料で配っていた帽子が意外と可愛かったこと。
そんなことの方が、覚えてる。
21日、不完全燃焼な思いを抱きながら、
それでもそれを受け入れるしかない私達は、
サンパウロへと向かう。
いただきますの、向こう側
昔読んだ雑誌に、こんなフレーズがあって。
何故だかずっと心に残っていた。
『いただきますの、向こう側』
そんなフレーズを、実体験をもって目の当たりにしたのが、
ここ弓場農場で見学させてもらった、豚の解体だ。
私達はスーパーマーケットに行けば、簡単にお肉が手に入る。
特に日本では、綺麗に骨や筋が切り取られ、
もも、胸、手羽、ロース、肩、バラなどに分類され、
必要な部位を必要な分だけ購入できる。
けれどその裏には必ず、
それまで生きていた『動物』を、『精肉』に変える人物がいる。
いつだって何だってそう、生き物は勝手に食べ物には変化しない。
その人物は、
動物自身が殺される運命を知って泣き叫ぶ声を聞く。
その人物は、
死体となった動物の毛を剃り、頭や足を分解して切っていく。
その人物は、
内臓を取り出す。
その人物は、
流れ出る鮮血を見る。
その人物は、
皮を剥ぐ。
そしてその人物は、
その肉を食べる。
私は今回、この一連の作業を見させてもらった。
そこには一切の無駄のない動き、鍛錬された技術、そして生き物に対する敬意が、
在った。
とまぁ、そんな堅苦しく考えなくてもいいじゃない、と、
弓場で育った若い女の子達は言うだろう。
だって彼女達、まるまる太った豚を見て放つ言葉はコレ。
「うわー、美味しそう」
参りました。
ある日の午後、夕方近く。
その日の仕事を終え、私達は豚が飼育されている場所へ向かった。
小屋へ着くよりも前に、豚独特の臭いが鼻をつく。
と、聞いたこともない鳴き声、いや泣き声が今度は耳を突き刺した。
豚の泣き叫ぶ声。
自分が今から殺されることを知っているんだろう。
きっとそれ以前に仲間が同じ運命にあったことを記憶しているんだろう。
そんな叫び声だった。

すると突然その声が止んだ。
それは同時に死を意味する。
すぐに台車に運ばれていった。
犬がついていった。

殺す瞬間を、私は見ることができなかった。
だけど啓陽は見ていて、彼の話によると、
本当に一瞬の出来事だったらしい。
ナイフで心臓をひと突き。
刺された豚は、一体何が起きたのかわからないまま、
歩きよろめき、バタッと倒れたという。
だけどそこには熟練の技術が必要だ。
だって暴れ動く豚に対して、たったのひと突きで仕留めなくてはならない。
数ミリでも外せば、もがき苦しむ時間が増えるだけ。
瞬時の技は、生き物に対する敬意に繋がる。
解体所へ運ばれると、
既に用意してあった熱湯をかけ始めた。
そうすることによって、毛を剃り易くなる。


小さなナイフで、少しずつ丁寧に、それはそれは丁寧に剃っていく。


毛が完璧に剃り終わると、切断が始まる。
内臓を取り出され、あばら骨がむき出しになった途端、
それまで『生き物』として見ていた豚が、
一瞬にして『精肉』に見えた。

骨と血にまみれた肉は、
こういう旅に出てから各国の市場で見慣れていた。
もう当たり前のように、切り落とされた頭だけが売られていたり、
天井から吊るされた足は足そのままの形だし。
けれども切られる瞬間を見たのはもちろん初めて。
豚の体から内臓や血が流れ出るのを見るのも初めてだった。
だから正直この解体を見る前は、
自分がどんな気持ちになるかわからなかった。
ちゃんと見れるのかさえ不安だったくらい。
だけど実際は、
すごく清々しい気持ちになっていた。
それぐらい、彼らの仕事は美しかった。
主となり解体していたうちの1人はまだ高校生だ。
黙々と、無駄のない動きで、ただただ真剣に豚と向き合っている姿を目の当たりにして、
彼らに尊敬の念を持った。
そして、だからこそやっぱり私達日本人だけが持つのこの言葉を、
誇りを持って言い続けたい。
ずっとずっと、後世まで残したい言葉。
「いただきます」
翌日の献立は、「餃子」
さらに翌々日は、「豚カツ」でした。
もちろん今回の豚肉を使っての料理。
両手を合わせ、有り難くいただきました。
そして、、、
ほんっとーーーーーーーーーに、美味しかった。
弓場ではこの豚を、余すとこなく全て使い切る。
特に驚いたのは、豚の脂を使って作る石鹸と洗剤だ。
見た目はどろどろした脂なのに、
水に溶かすと一気に泡立ち、いつも見慣れたような洗剤に様変わりする。
一体どんな仕組みで豚の脂が洗剤に変わるのか、
その作る過程を見る事ができなかったのは残念だ。

気持ちいいくらい汚れがキレイに落ちる。素晴らしき技術!

全部自分たちの手で作る。
コーヒーも。

コーヒーの豆って、赤い実の中にある白い種だって知ってました?
その白い種を高温で煎って煎って煎りまくって水分飛ばして焦がしたのが、
よく見る茶色いコーヒー豆。
私は知らなかったー。
ジャムも。

グァバジャム。トマトソースに見えるけどこれはジャムです。
何時間も何時間も煮詰めて、あの忘れられない味になる。
日本じゃグァバ、あんまり手に入らないからなぁ。
誕生日ケーキも。

この日、二十歳の誕生日を迎えるスマカちゃんのために、
女の子達はガトーショコラを焼いた。
夜になるとみんなが食堂へ集まり、
スマカちゃんの節目をお祝いした。
弓場では誰かの誕生日には、必ずこうやって皆で集まってお祝いするという。
もちろん近い誕生日の人は合同になるし、
毎回お祝いの仕方は変わるだろうけど、
そうやって各世代同士、誕生日を祝い合えるってステキだよ。


主役のスマカちゃんと、元旅人で弓場に移り住んだ辻さん。
ここで育ったジュンコさん(同じ名前だってことで結構イジられたもんです)と
恋に落ちて、日本を離れ、結婚してここに永住することに決めたという。
辻さんは1970年代に自転車で世界を旅した。
彼の旅の話を伺うと、現代の旅がすごくぬるく感じる。
けれども同時に、旅に共通する不変のものがあるとも感じる。
そしてついに私も、オクラの草刈りデビューをする日がやって来た。
いつもいつも汗だく土まみれになって帰ってくる啓陽と愛二を、
余裕の眼差しで迎えていたけれど、
今回身を持ってわかりました。
農業がいかに体にキツいかということを。
私は声を大にして言いたいです。
農家の方々、いつもいつも本当にお疲れさまです!
そして美味しい野菜を届けてくれて、
本当にありがとうございます!!!
野菜は勝手に育つわけない。
誰かの手で、誰かの心で、大切に育てられ、管理され、
私達の口に入る。
だから少しでも無駄にしちゃいけない。
本当に、無駄にしちゃいけない。
キツいのは鍬使いが難しいだけじゃなくて。
この炎天下という暑さも体力を吸い取っていく理由。
日焼け対策もバッチリでございます。


見渡す限りのオクラ畑



こいつがオクラの花ね


この日は午後だったこともあり、
時間が短いだけまだ余裕の表情。

弓場の仲間。8人中、6人が旅人!
でも、翌日は午前の仕事。
フルに5時間、鍬持って草刈りした結果、
完全にバテました。

まだ暗いうちに出発して。


仕事前はまだ元気


さぁ始めるよ!
と気合い入れたはいいものの。。

数時間後の姿。まー情けない。

犬も日陰で休むほど、この日は暑かった〜。
首や頭に水をかけながら、なんとか自分なりに頑張ってひたすら草を刈る。
前を見ると、はるか彼方に啓陽と愛二。
あー、やっぱすごいよ。
だてに鍬握ってないよ、君たち。
その体力とスピード、いやむしろ根性に、ちょっとだけ尊敬しました。
そんな風にして、発見だらけの弓場農場での日々はあっと言う間に過ぎ、
ついに最後の晩を迎えた。
たまたま来客が重なり、その中のお一人が日本酒をお土産に持って来たこともあって、
その晩、食堂は大宴会の場と化した。

犬師、ゴリさんは元TBSで働いていたという経歴の持ち主。
弓場にいる6匹の犬達の面倒を見ているゴリさん。
どんなにか犬好きだろうと思って聞いてみると、
「誰もやんねーからよぉ。俺がやるしかなくてよぉ。」
でも、犬達を見つめる眼差しでバレバレですよ。

チャック兄さんはツネオさんの実のお兄さん。
なんと牧師さんである。
「2人が連れ添っていく先に、、」

ツネオさんの奥さん、ポジンさんは本当に可愛い人♬
弓場のお台所の鍵を握っている!
なんでも作れちゃう凄い人。
できればお醤油、お味噌の作り方も習いたかったー。

旅人カオルさん。半年間の弓場生活、いつまで続くのでしょう?
後ろはツネオさんの長男、ダイゴ。
しっかり者で、将来きっとこの弓場を引っ張って行くんだろう。


すぐ立ちたがるチャック兄さん。

タケさん&リエさん夫妻も旅人。
けれど、もうかれこれ弓場滞在歴なんと一年!
すっかりここでの生活に溶け込んでいた。
それぐらいここは魅力的な場所だから。
彼らが旅を再開するのか、それとも、、
それは誰にもわからないこと。
でも世界のどこかでまた会えたらもっとお話したいなぁ。


辻さん、飲み過ぎでっせ。
その晩遅くに、近くの小さな町でカーニバルがあって。
さっきまでスッピンTシャツだった女の子達が、
バッチリ化粧とお洒落な服で気合い入れまくり!
それに感化されたアラサー組は、
やっぱり気合い入れてついていきました(笑)
いや、行くでしょう、ここは!
とはいっても、彼らの一張羅はやっぱこのシャツしかないんだけどね。

連れてってくれたダイゴ、ありがとう!
そして本当に本当の最終日。
夕方16時にアラサトゥーバを出発し、リオデジャネイロへ向かう私達。
弓場でいただく最後のご飯は、
なんと子豚ちゃんの丸焼き!


この子豚ちゃん達も、やっぱり彼らのあの美しい仕事によって、
こうして食卓に並べられたのだろう。
最後の最後まで、本当に食べることに感謝させてもらいました。


さらに、夕食はバスの中で摂ることになるだろうと、
いつもより多めにお米を炊いていただき、
3人分のおにぎりを握っていた私。
すると、「これも一緒に食べなさい」と、
昨日の残りの豚カツまでいただいて、、
どんな言葉をもってしても足りないくらい、
感謝の気持ちでいっぱいです。
特に、『食べること』に関して、深く、深く考えさせられました。
「いただきます」の意味。
どんな食べ物にも、その背景には丹精込めて育て、作った「人間」がいるということ。
それを忘れちゃ絶対にいけない。
そして、自分の身体が教えてくれた食べ物と健康の繋がり。
ここでの滞在中、すこぶる体調が良かった。
肌だってたいしたお手入れしてないのに、ピンピンしちゃって。
やっぱりどんな高級な化粧品より、健康的な食生活。
これに限るんだなー。
わかっちゃいたことだけど、自分の身体で再確認できた。

弓場の皆さん、本当に、本当にお世話になりました。
そして、ありがとうございました!!!
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